アジアのぬるい風に吹かれて

今日もあのへんにいます

旅のノート 〜異文化編①〜

インドシナ半島に何がある?

時間とお金をやりくりして、なぜまた旅に出るのだろうか。

自分の場合、その答えの一つは、“異文化に触れたい”からということになるかもしれない。

異文化などと言うと大げさなのだが、つまりはその土地ならではの暮らしのありようだ。何気ない日常の光景が、時には“民族・歴史・宗教”といった壮大なテーマにまで思いを馳せるきっかけをくれたりもする。

ではさっそく、インドシナ半島の国々で遭遇した異文化5選をどうぞ。

1 托鉢(ラオス
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毎朝、少年僧たちが通りを歩き、人々は彼らに食料を奉じる。出家した以上は仏門の修行に忙しく、自分で調理などしているヒマもなかろうという周りの配慮から、この托鉢は始まったものだ。
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(こちらはミャンマーの街角)

このとき、世俗に住む市民たちもまた、供物という行為を通じて仏法を実践している。“喜捨”の行いによって、徳を積むことができるという古くからの教えでもあるらしい。

長く続く理由はこのへんにあるのだろう。

ラオスミャンマーを歩けば、今もこういう光景をたくさん目にすることができる。同じ東洋と言えども、日本や中国とは、仏教と日常の“絡み方”がずいぶん違う。彼の地の過酷な暑さとも関係があるのでは、と思うのだが、さてどうだろうか。

2 バインミーベトナム
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1950年代半ばまでのおよそ80年間、インドシナ半島の一部(現在のベトナムカンボジアラオス)をフランスが占領支配した。いわゆる“仏印=仏領インドシナ”だ。

そもそもこの侵攻は、あのナポレオンによる遠征をその端緒とするものだという。そういう歴史の評価はさまざまにあろうが、フランスによってたくさんの文化がこの地にもたらされたことも事実。

その一つがこのサンドイッチだ。フランスパンに具材を挟み、甘酸っぱいニュクマム(ベトナムで一般的な魚醤)風味のソースで食す。欧州のパンとベトナム伝統の味がここに融合 (^^)/

フランス人が持ち込むまで、人々はパンを食べたことがなかったそうだ。これぞ歴史がもたらすダイナミズムか。

なお、バイン ‘bahn’ とは粉から作る食材を指し、バインセオ(ベトナムお好み焼き)も有名だ。

3 タナカ(ミャンマー

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写真の女性が頬に何かを塗っている。これがタナカ ‘thanaka’ と呼ばれる、ミャンマーの伝統的なお化粧だ。

ミャンマーからタイにかけての有力民族であるシャン族(タイの旧国名である“シャム”はこれに由来との説あり)の風習が広まったもので、ミカン科“タナカの木”から穫れる樹液を原料とする。

肌を熱から守り吹き出物を防ぐ効果もあるのだとか。男性が塗っていることも珍しくない。日本のポピュラーな姓である田中とは無関係、単なる偶然だ。
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(ネコたちの面倒を見る女性の顔にもタナカ)

ところで、最大の都市であるヤンゴンの中心部では、近年、若い女性がこの“タナカ”を塗るのはダサいこととして敬遠するという。

なるほど、長い時間の中で文化とはこうして移り変わるものなのだろう。

②につづく